北条加蓮の日記①(第65期王将戦七番勝負第2局羽生名人-郷田王将 1日目)

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朝、目が覚めた瞬間に「ああ、これは駄目だ」って思った。

なんて言うのかな、身体がふわふわして頭もぼんやりしてる感じ。

入院生活が長かったから、体調がおかしい時は何となく分かるんだよね。

だからこれは駄目な奴。

 

でも一応は体温を測っとこうと思って体を起こしたら、今度は酷い頭痛がして思わずシーツにうずくまった。

最悪な朝だ。

プリンセスの目覚めってこういうのじゃないと思うんだけど。

まあ、プリンセスなんてガラじゃないか。

うーん。

別に無理をしてたつもりはなかったんだけど、トライアドプリムスでの大きなライブが終わって、気が抜けちゃったのかな。

とりあえず事務所に連絡して、凛と奈緒にもメールした。

体調不良で今日はお休みします。

また凛と奈緒に迷惑を掛けることになると思うと、申し訳なさで一杯になる。

それにプロデューサーにも。

はあ。

今日はレッスンにこれからの仕事の打ち合わせに、予定はたくさん詰まってた。

直接の仕事がなかったのが不幸中の幸いか。

「あーあ、今日はどうしようかな」

なんて、思わずつぶやいたけど、実際どうしようもない。

大人しく寝て、少しでも体力の快復に努める。

それだけ。

凄く、退屈。

昔はどうやって時間を潰していたんだろう?

退屈なことが、ここまで苦痛じゃなかったのかな。

今は何だかんだで、毎日が刺激的で楽しいからさ。

じっとしてるのが余計につらく感じるのかも。

ふとスマホを見ると、将棋の中継アプリが目にとまった。

何でか知らないけど、最近事務所で将棋が流行ってる。

私はあまり詳しくないけど、何となく面白さは伝わるのでちょっとは見てる。

開いてみると、タイトル戦の中継が行われていた。

 

第65期王将戦七番勝負第2局羽生名人-郷田王将

先手: 羽生名人 / 後手: 郷田王将

▲7六歩△8四歩▲2六歩△8五歩▲7七角△3四歩▲8八銀△3二金▲7八金△7七角成▲同 銀△4二銀

 

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これは角換わりだっけ。

美嘉や飛鳥ちゃんが蘭子ちゃんブログで色々書いてた気がする。

難しくてよく分からなかったけど、端がポイントだったことは覚えてる。

あえて端を受けずに先攻するとか、受けなかった筋を伸ばすかどうかとか、駆け引きがあるらしい。

これまで当たり前に流してた部分で立ち止まって新しい可能性を見つけるのって、アイドルの仕事に似てる気がする。

凛の姿勢なんか、特にそうかな。

 

▲3八銀△7二銀▲4六歩△6四歩▲4七銀△6三銀▲6八玉△4一玉▲7九玉△3一玉▲5六銀△5四銀▲5八金△4四歩▲3六歩△7四歩▲6六歩△5二金▲9六歩△1四歩▲1六歩△7三桂▲9五歩

 

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端の形のパターンを、端歩三十六景っていうらしい。

端歩の配置が36種類あるからだ。

ちょっと前まではお互い突き合う形だけだったけど、今は本当に三十六景って感じがする。

うーん。

文香さんならもしかしたら富士山か何かと絡めて綺麗な文章を書けるのかもしれないけど、私にはちょっと無理だなあ。

そうなんだなあって、思うだけ。

今日の景色は先手の9筋の突き越し。

これ見た時はちょっと意外だったかな。

内容を調べたわけじゃないけど、この形って大体負けてた気がしたから。

後で調べてみたら羽生名人はJT杯の対豊島戦、棋王戦の阿部健戦でも9筋を突き越して負けてるみたい。

あんまり9筋を突き越してるが活かされてないって感じ?

活かせれば有利になるんだけど、実現するのは大変みたい。

大事な勝負でそういう形をまたやるものなのかな。

でも、負けても失敗しても、自分がこの形には可能性があるって信じてるなら、また挑戦したいって思うのかも。

それが大舞台であっても。

いや、大舞台、だからこそ。

うん。

それなら分かる気がする。

 

△6三金▲6七金右△6二金▲8八玉△8一飛▲1八香△2二玉▲4五歩△4六角

 

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寝たり起きたりしていると、夕方、奈緒がうちに来た。

「ジャンクフードばっかり食べてるからだよ。病人は粥食え。粥」

「それはちょっと・・・」

奈緒は憎まれ口を叩きながらも、ポカリやゼリーなんかの差し入れを持ってきてくれていた。

本人はなかなか素直にならないけど、本当は凄く優しい子だってみんな知ってる。

今も、仕事が終わってすぐに来たんだろう。

「今日はごめんね」

「いいって。こういう時はお互い様だろ?あたしだって風邪引くときはあるし」

「でも・・・」

「えっと・・・あ、将棋見てたのか」

奈緒は私のスマホを手にとって覗き見た。

「うん、でも難しくて、ここら辺のやり取りはよく意味が分からなかった」

金を引いたり、香を一段上がったり、深い意味があるんだろうけど。

「なるほど」

奈緒は事務所の中でも将棋が強いし詳しい方。

「これは手待ちしてるんだな。パスってことだ」

「パス?どうして?そんなことしたら不利にならないの?」

「お互いの陣形が出来上がってて、自分からは手出ししづらい状況なんだ。ほら、剣術の達人の勝負なんかでよくあるだろ?『先に動いた方が負ける…!』ってやつ」

「ああ」

何となくニュアンスは理解できた。

「ただ将棋はルール上何か動かさないといけないから、一番害のない手を指してるってわけ」

「ふうん・・・」

「でもなあ」

奈緒は首をかしげる。

「ここで▲4五歩と仕掛けるのは流石に無理がないか?」

「そうなの?」

解説に▲3七桂や▲6八金引は逆に隙を作って攻められてしまうって書いてあったから、このまま▲4五歩と攻めたのはそういうものかと思ってた。

「うん。▲2五歩も▲3七桂も▲4八飛も入ってない状態の仕掛けなんて、普通は無理」

そう言いながらも奈緒は「でも対局者も普通じゃないからなあ」と、自分の判断にそこまで自信があるわけでもなさそうだった。

「で、後手が△4六角と打って・・・ここで封じ手かな。じゃああたしはそろそろ帰るよ。思ったより元気そうで安心した」

「ん、ありがとう」

部屋から出ようとしてドアに手を掛けたところで、奈緒が立ち止まった。

「あ、そうだ。凛とプロデューサーから伝言」

「伝言?」

「半端な状態で無理をしようとしないこと。今は体を休めて風邪をきっちり治すのがプロ仕事・・・だってさ」

「えー。分かってるよ、もう」

「本当か?・・・まあいいや。そういうことで、お大事に」

そう言って、今度こそ奈緒は帰って行った。

 

その夜は、かなり熱があがった。

そこまで体がきついわけではなかったけど、妙にふわふわして意識がぼんやりしていた。

昔のことや最近のことが、シャボン玉みたいに浮かんでは消えていた。

プロデューサーにアイドルになろうってスカウトされた時のこと。

初めてのレッスン。

トライアドプリムスのライブの景色。

ありすちゃんに「恋ってなんですか?」って聞かれたとき、美嘉が答えたこと。

私なら、なんて答えたんだろう。

・・・。

時々、怖くなることがある。

私なんかがこんなに幸せでいいのかなって。

寂しい病室で一人きりでいるのが本当の私で、いつかそこに戻されてしまうんじゃないかって。

それに私がこうして寝込んでる間もみんなは頑張ってるわけで、いつかどうしようもなく追いつけなくなるんじゃないかと思うと、怖い。

今思うとこれって全部、夢だったんだよね。

見てるときは全然気がつかなかった。

最後に見た夢は、昔入院していた病院の一室。 

そこには幼い私が暗い顔をして座ってた。

「何もかも、無駄だと思う」

幼い私はそう言った。

「諦めてしまった方がいいよ」

「何をやっても人並み以下。たまに何かを頑張ろうと思っても、体を壊して全部おしまいになる」

「何かを最後までやり遂げたこと、ないんじゃない?」

「変に希望を持つから、後でがっかりして傷つくんだ」

「だったら初めから、諦めてしまった方がいい」

そう言う私はとても寂しそうで、泣き出しそうで。

 私は、何も答えることができなかった。

 

 《北条加蓮