速水奏の『第88期棋聖戦五番勝負第1局 斎藤慎太郎七段-羽生善治棋聖』観戦記

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D'où venons-nous ? Que sommes-nous ? Où allons-nous ?
(我々はどこから来たのか? 我々は何者なのか? 我々はどこへ行くのか?)

っていうのはゴーギャンの絵画の主題だけれど、表現者としては常に頭の片隅にある問いかけよね。アイドルだってそう。歌の中で、あるいは被写体として、普遍的な何かを希求している。
そう見えない? ふふっ、私もまだまだってこと。
将棋指しはどうかしら?
彼らは勝負師であり、棋理の探求者であり、また指し手に自分自身を乗せる表現者……の、はずだった。
だった、っていうのは、今はそうじゃないって意味じゃないわ。
将棋ソフトが人間を超えたこと今、棋士は将棋とどう向き合うべきなのか。
それが今まさに問い直されているってこと。
人智を超えたAIの力という知恵の実を、彼らがどう飲み下そうとしてるのか。
楽園から追われた彼らはどこへ向かうのか。
興味あるでしょう?
……なんて、気取ったところで言葉に出来る解答なんて存在しないことは分かってるんだけどね。
だけど、私は期待してるの。
盤上でそれを見せてくれる人達がいるってことを、ね。

さ、無駄話はこれくらいにして始めましょうか。
第88期棋聖戦五番勝負の開幕よ。

 


棋戦:第88期棋聖戦五番勝負 第1局
場所:ホテルニューアワジ
先手:斎藤慎太郎七段
後手:羽生善治棋聖

▲7六歩 △8四歩 ▲6八銀

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先手は斎藤慎太郎七段。甘いマスクでも話題よね。
だけど、指し手は本格派よ。
詰将棋で鍛えた精確な読みで、相手を上回ることを主眼にしているわ。
読みで相手を上回って勝つ、シンプルだけどある意味では将棋において究極といっていいわね。
その読みの力に、あらゆる力を駆使する羽生棋聖にどう応じるかも見所の一つね。
それから斎藤七段で欠かせないのは詰将棋への愛ね。
詰将棋選手権での「今日だけは合法的に詰将棋だけをしていい日といわれている」なんて発言からも、詰将棋への愛の深さが覗えるわ。
ふふ、ちょっと妬けちゃうわね。
後手の羽生善治棋聖は……今更、私の言葉なんて必要ないわね。
現在棋聖九連覇中、本当にどうなっているのかしら?
何十年もトップを走り続けている羽生棋聖だけれど、それでもここ数年で他との差は確実に縮まっていると感じるわ。
自分と同じくスターの道を歩み始めた藤井聡太四段が彼に何をもたらすのかにも興味があるのだけど、それはまた別の物語で語られることね。

さて、3手目▲6八銀で戦型は矢倉が濃厚に。
続きを並べていきましょうか。


△3四歩 ▲7七銀 △6二銀▲5六歩 △5四歩 ▲4八銀 △4二銀 ▲5八金右 △3二金▲2六歩 △4一玉 ▲6六歩 △7四歩 ▲6七金 △5二金▲7九角 △6四歩

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△6四歩から広がるのは米長流といわれる急戦矢倉の世界よ。
随分古めかしい形になったわね。
これが盛んに指されていたのは昭和の頃、米長四冠王が誕生して流行った戦型ね。
ここに誘導したのはもちろん後手の羽生棋聖

……羽生棋聖はいわゆるソフト的な作戦をあまり採用しないわよね。居角左美濃急戦もそうだし、逆を持った話になるけど炎の七番勝負ではソフト推奨の角換わり桂跳ね速攻を受けて立って潰されたこともあったわね。
普通ならばソフトに対する反発があるのかしら、と思うところだけれど、それは違うでしょうね。
羽生棋聖は将棋ソフトどころか人工知能全般に深い関心を持っていて、NHKスペシャルで長期に渡って人工知能について取材し、アルファ碁のデビス・ハサビス氏と対談し、本まで上梓しているわ。
当然、羽生棋聖なりの考えがあるのだと思うのだけれど、いつか語られる時が来るのかしら?でも今はまだ、その時じゃないのでしょうね。

駒組みのポイントとしては先手の▲2六歩を見てから△5二金を上がることかしら。
あまり早く△5二金を決めると▲3五歩~▲3五角と仕掛けられた時に7一の地点が開いてしまうわ。それ自体は△5三銀とでも受ければいいのだけど、そこで▲2六角と引かれて少し面白くないから。

 

▲2五歩 △7三桂 ▲7八金 △8五歩▲3六歩 △3三銀 ▲6九玉 △6三銀 ▲4六歩

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ここは一つの作戦の岐路だったわ。29手目は▲3七銀も有力なところ。
次に▲3五歩と仕掛ける狙いで、そうなれば作戦勝ちだから後手は△4四銀、以下▲2四歩△同歩▲同角△2三歩▲1五角が一例かしらね。
どちらかというとこっちの方が主流だと思うけど、どう考えてもここに誘導した羽生棋聖が最も厚く準備してそうなところよね。斎藤七段が選ばなかったのは相手の研究を警戒したのかもしれないわ。

▲4六歩は後手の急戦に備えた一手て、△4四銀と出て来れば▲3七桂~▲4五歩で銀を押し返すことが出来る。
よって後手も先手の駒組みに追従することになる。

 

△4四歩▲4七銀 △4三金右 ▲3七桂 △3一角 ▲6八角 △4二角▲7九玉 △3一玉 ▲9六歩 △1四歩 ▲8八玉 △2二玉

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入城直前の▲9六歩は何気ないようで▲7九玉型で仕掛ける狙いを秘めた油断のならない手ね。
これに△2二玉は先手の仕掛けに近づいてしまうわ。一方▲7九玉型は△8六歩に強い上に、端歩によって将来の△9五桂も消している。
玉を入城するのが必ずしもプラスにならないのは、角換わり先後同型の木村定跡、升田定跡にも通じるわね。異なる戦型の考え方が意外なところでリンクするのも将棋の面白さかしら。
よって後手も△1四歩ともう一手待つことになる。
このあたりは玉の入城の有無、端の違いで後の展開も大きく変わる。ちょっとここでは書き切れないわね。
勉強するなら藤森先生の急戦矢倉の本がオススメよ。戦法解説だけではなく、コラムや自戦記もとても面白いから。
さて、▲8八玉△2二玉とここまで先後同型に。
蘭子風に言うと鏡面世界の戦い、だったかしら?
お互いに水面下での牽制を繰り返した結果、鏡映しの形に落ち着くのってロマンチックよね。まるで恋の駆け引きみたいだと思わない?
『矢倉は将棋の純文学』なんて、言われていたワケが分かるわね。

▲4五歩 △同 歩 ▲同 桂 △4四銀 ▲4六銀 △6五歩▲同 歩 △7五歩 ▲2四歩

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51手目の前例は▲3五歩で、斎藤六段の▲2四歩によって未知の局面になったみたいね。
指し手は違っても考え方は同じで、要するに△7五歩に対して受けに回ると後手の攻めがうるさいので反撃に出ようということね。
攻め合いは相居飛車の華。お互いに我が道をいくことになるわ。

△同 歩 ▲3五歩 △7六歩▲同 金 △6七歩 ▲5七角 △7四銀

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筋としては△7五歩▲6六金△7四銀が見えるところだけど、△6七歩が羽生棋聖の周到な手ね。
金で取るのも駒が上擦るし、角で取るのも拠点が残って気持ちが悪い。
本当に微妙なところを逃さないし正確。
羽生マジックみたいな派手な手も魅力だけど、こういうところに強さを感じるわ。

 

▲2三歩 △同 金▲3四歩 △8六歩 ▲同 銀 △6五銀 ▲7七歩 △8五歩▲7五銀

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△6七歩が通って後手ペースかと思われたのだけど、いざ▲7七歩と受けられてみるとこれがまた難しい。
羽生棋聖が長考に沈んだのでもしかしたらと思ったけど、次の手が意外だったわ。
△8五歩は言われなくても突き捨てたような歩だから、このタイミングで打つのは私は考えなかったわね。
▲9七銀と引かせれば得になるとみたのは間違いないのでしょうけど、このあたりの感覚は実際に盤に向かわないと分からないわね。
傍目八目っていうけれど、一番読んでるのは対局者だから。
斎藤七段の選択は▲7五銀。
こうなったら、止まれないわ。

 

△7六銀 ▲同 歩 △6五桂 ▲6六角 △6八金▲同 金 △同歩成 ▲同 飛 △7七歩 ▲同 桂 △7五角▲同 歩

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本譜は▲7五同歩と角の利きを残したけれど、控え室では▲7五同角△7九銀▲同玉△7七桂成▲3三銀△同桂▲3一角打△2一玉▲3三歩成で先手の一手勝ちという順も調べられていたみたいね。

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これは確かに後手がまずそうだわ。
仮に▲同角とされたとして△7九銀と捨ててなお決まってないというのが致命的なのだから、換えて△8六歩かしらね?
これなら同じように進行した時に……。

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△8七歩成 ▲7九玉 △7八銀 ▲同 飛 △同 と ▲同 玉△8八飛打 ▲6七玉 △5八銀 ▲6六玉 △6八飛成 ▲6七歩△同 龍で先手玉に詰みがあるわ。

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だから▲3三歩成とはできずに▲8六角と玉頭の歩を払う必要がある。
そこで手番の後手は……っと、明後日の方に行っちゃったわね。

要するに何が言いたいかというと、▲7五角を選んでいれば簡単に先手が勝ちだったというシンプルな話じゃなくて、どちらを選んだとしても難解な展開が続いていただろうってこと。
81マスの迷宮は、探索者を容易く出口に連れて行ってはくれないわ。

 

△8六歩 ▲同 歩 △6七歩 ▲4四角

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角を切って、さあ詰むや詰まざるや。

△同 金▲3三金 △同 桂 ▲同歩成 △同 金 ▲同桂成 △同 玉▲4五桂


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一路誤れば奈落の底に転落する綱渡り。
▲4五桂にはどう応じるか。

△4三玉は▲6一角 △4二玉 ▲3三銀 △5一玉 ▲5二金 △同 飛▲同角成 △同 玉 ▲4二飛 △6三玉 ▲7四銀 △6四玉▲6二飛成 △6三桂 ▲同 龍 △7五玉 ▲6五龍 △8六玉▲8五龍で詰み。

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△2三玉は詰みはないけど、▲4一角されたのち飛車を取られると▲6三飛と王手桂の筋があるのがよくないわ。
後手は自玉が詰まされる以外にも攻防手を決められることには注意する必要がある。
よって△同金。


△同 金 ▲3四歩 △4三玉

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さっきは▲6一角以下詰みがあった△4三玉だけど、今度はそうはいかない。4四の空間が空いている。桂合で受かってるわ。


▲5三金

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▲5三金では違う手もあったわ。当然よね。がらんとした後手玉に王手の筋は無数にある。本当に全てにおいて後手の勝ちだったか、もしかしたら先手に勝ちもありえたのか、私には分からない。
いずれにしても斎藤六段はこの時点で一分将棋。いくら詰将棋の名手といえど、とても読み切れるものではなかった。
一方の羽生棋聖はここでまだ30分近くの時間を残していたわ。
……これもまた一つの強さね。時間を残すために早指しし過ぎれば勝負どころの前に間違える。決断を鈍らされば時間が残らない。
ここまでの一手一手全ての積み重ねの上に残された30分は、黄金よりも貴重な正確な読みを、羽生棋聖に与えてくれる。

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△同 玉▲6五桂 △4三玉 ▲3五桂 △同 金

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幸子が少し気にしていたけど、▲3五桂に△同金以外……例えば△4四玉なら、▲5三銀 △3四玉 ▲4三角 △3三玉 ▲3四銀 △2二玉▲2三桂成 △3一玉 ▲3二角成 △同 飛 ▲同成桂 △同 玉▲3三飛 △2一玉 ▲2二歩 △同 玉 ▲2三銀成 △2一玉▲3二飛成で詰んでたみたいね。

▲4四歩 △3四玉▲3五銀 △同 玉 ▲3六歩 △4五玉 ▲3四銀 △同 玉▲3五銀 △2三玉まで110手で後手の勝ち

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▲3六歩に△4五玉と歩の裏側に逃げ込むのが攻め筋を少なくする手段。
盤上から金駒が消えたことって過去にあるのかしら?これもまた激闘を物語る一つの証左ね。
△2三玉を見て斎藤六段が投了。
詰み筋の海を羽生玉は泳ぎきった。
最後の最後まで勝負がどう転ぶか分からない……名局だったと思う。
敗れた斎藤六段にも、拍手を送りたいわね。
何度も言うことだけど、名局は一人の力では生まれないものだから。
両対局者を称えると共に、残りの番勝負も熱戦を期待するわ。



 

 

……ところで個人的な話なのだけど、あの日は会う人会う人に「今日のお昼ご飯は何を食べるの?」って聞かれたの。
あのねぇ……。はっきり言っておくけど、私の曲は『Hotel Moon Side』であって、ホテルニューアワジとは全然違うし何の関係もないからね。
まったく、失礼しちゃうわ。
言い出しっぺは幸子?あの子には責任を取ってまた身体を張って貰いましょう。
それで、結局お昼には何を食べたのかって?
それはもちろん、きつねうどんよ。

  

速水奏